人生拗らせ人間が綴る、闇日記

機能不全が本気を出してきた 〜3rd season〜

皮をむしる話

タイトルがキモくて自分でもびっくりしたけれど、

他に思いつかなかったので、このままで行きます.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校、中学校、高校、大学とずっと両手親指の皮がなかったし、現在も綺麗な手であることは少ない.

 

僕は主に右手の親指を人差し指を使って皮を剥く派閥に属している(?)歯とか使って器用に処理できないタイプなので…

 

爪を切り揃えていても、少し出たささくれを頼りに皮を剥いてしまうし、そんな歴戦を耐えた僕の指の皮はゴワゴワと固い.

 

 

緊張や不安が強い時は、痛覚が鈍るのか血が滲むほどむしってしまう.いまだに加減ができない.

 

 

思い出の中にある右手の親指は、血が出る手前のピンクの薄い皮膚に覆われてるか、血が滲んでいた.

行為のきっかけは思い出せないが、親や親族に指摘された記憶は残っている.

 

「みっともないからやめなさい」

「汚いでしょ」

「なんでやめられないの」

「癖になったら困る」

 

字面だけ見ると、薬中っぽくてウケるな.

元気に指の皮をむしってるだけなのに.

 

親から僕を心配するような発言は、あまり印象にないが、前の記事に書いた親族とか、仲のいい方のいとこの親が心配してくれた記憶がある.

 

 

僕自身は構ってほしくて皮をむしっていたわけではなく、自分を落ち着かせるための行為だったため、親の発言の軸が「自分(親)がマイナスに見られないように」という感じなのでたまげた.

 

 

中学生になってからは、学校でのストレスもあり両手の親指、高校・大学では両手の親指と両足の踵の皮が犠牲となった.

 

今冷静になって思い出すと大変キショいのだが、踵の皮は瓶に集めていた.

足を洗い、アルコールで拭いた後、皮をむしる.

むしった皮は湿り気の度合いにより、干してから瓶に詰めていた(干物の加工業者?).

 

切って使うタイプの大きい絆創膏にも傷ついた患部は収まらず、結局ガーゼと包帯で手当てしていた.

 

スムーズに歩けなくなるほど、血まみれで皮膚がえぐれているのに、どうやってもむしるのをやめられなかった.

家に帰って汗を含んだガーゼのむせ返るにおいを嗅ぐたびに「またやってしまった、なぜやめられないんだろう」とうなだれる日々だった(ずっと薬中の話?)

 

むしった皮の総量をみたり、足や指の傷がしみて痛い方が、心が死んでいても体は「生きている」という感じがして心地よかった.

 

 

踵の皮をむしるのは治ったが、大人になった今でも指はむしってしまう.

「絶対にやめるゾイ」と思わないようにしたら気が楽になった.

メンタルの具合が悪い時の指標として使っている.

 

化膿したりするから、みんな気をつけてな!

 

おわり

明日死ぬことはほぼない

久々に長めの文章が描きたくなったので、

この限界ブログを更新しようと思う

(このあいだ番外編は更新済みだが…).


ここ2023年上半期(?)のトピックとしては、


仕事

  • 今の会社で4年ほど働いた\ヤッター/
  • 居眠り老害が異動になった\ヤッター/
  • 年次が上がったからか重めの仕事が来る


その他生活

  • 親との関係は相変わらずダメ
  • 頭痛外来に通い始めた
  • QPコーワ錠の良さを知った
  • 革靴を買う 靴磨きが楽しい
  • LaTeXで図を作成するコマンドを勉強中
  • Twitterが改悪した
  • いとこや歯医者さんから明るくなったと言われた

 


という感じだ.

 

日々忙しないけれど、30代に突入してから少し生き方がわかってきた.


しかし時間感覚がだいぶバグってきている.

あまりにも1年経過するのが早い、早すぎる.

1週間なんて秒だ.


「まあ、明日死んでもいいか」というスタンスで生きてはいるが、

「いつの間にか老害になって、そのまま死ぬのでは?」と改めて思った.

老害にはなりたくねえ〜〜.怖すぎる、それが人生.

 

 

漠然と「17歳で死ぬ…」

…なんて思っていたけど(n度目)、

それと同時に明日が来るのが嫌だと思っていた.

 


自分が予測していない事案が発生するのが、

かなり苦痛だったからだ.


親から急に小言を言われたり、

長文のメールや手紙が来たり、

学校で授業中に指されたり、

予測できない全てが嫌だった.

生きているだけなのに何かしら不安が付き纏っていた.

 

今でも嫌さはあるけど、仕事であればある程度予測ができるのでマシ.


仕事で例えれば、

ルーティン業務以外で上司から頼まれた仕事に着手する際、

「期日はいつまでか」

「最長でどこまで待てるか」

「どんな形式か」

などを積極的に聞くようにしてから、

心に余裕が持てるようになった.

 


事前に準備して業務が円滑に行くなら

ガンガン先取りして準備するなど、

対処ができるから良い!


う〜ん、ワーカーホリックのきらいがある!

今の雇用形態でよかった!!!!!!

 


なんて冗談はさておき(?)

 

ここまで駄文を書いてるけど結論としては、

「時間が体感より早く進んでも、

明日ぱたりと死ぬことは"ほぼ"ないことに気づいた」

ということです.

 

自殺する勇気もない.

ただ淡々と時間が過ぎて季節が変わって、

ふとした瞬間、

その経過に驚くっていうのを繰り返すんだろうな.

 

「死にたい」と騒いでいた過去の自分が、

現在の自分を見たらどんな感情を持つのだろうか.

まあ、良かったね 程度かと思うけど.

 

 

おわり

 

 

親戚の葬儀

2019年 別の場所で書いていた記事です.

記録のためにこちらへ移動させておきます.

↓↓↓↓↓

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自分で書いた文章を推敲しようと思って
読み返すたびに泣いていたので
落ち着くまで詰んでたら
投稿が遅くなってしまった…

 

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1月の初め親族が死んだ.

僕はその人からは割と遠い血縁だけど
その人とは小さい頃から交流があって
割と身近な存在だった.


なので訃報を聞いた時、絶望した.
今までの記憶が一気に駆け巡った.


小さい時は掘りごたつで
みかんや干し芋をもらって食べたり.
外にある汲み取りのトイレが怖いと騒いで笑われたり.
はとこたちと遊びまわってるのを見守ってもらったりした.


ある程度大きくなると
農作業の休憩で一緒にお菓子を食べたり
都内の電車の話をしたり、進路や家の話もした.

 


僕の性格を形成してくれた人たちの中の一人だ.


当時、祖父母や母親からは
与えてもらえなかった「優しさ」という部分を
補ってくれていた存在なのかもしれない
と今になると思う…そのくらい大切な人だ.

 

 


葬儀当日、納棺にも参加して、
冷たくなった手に触れた時
その人の死を実感できた.


いつかの農作業の時、
「手の厚みは人によって違う」
という話で盛り上がった際に
触らせてもらった手と厚みは変わらなくて、
その温かくて大きな手は
氷のように冷たくなってしまっていた.


いくら僕が触ったとしても、
再び温かくはならないと理解した瞬間、
涙が溢れて止まらなくなった.

 


納棺もそうだけど
火葬するための窯に棺が入れられる時も
とても「死」というものを実感できた.
(そして号泣するという流れ…)


「人という形ですらなくなる」と思うと、
生きていた姿が思い出されちゃうんだなあ、と.

 

 


そんな感じで、火葬まで済んで
骨になったその人(ではないけど)に対面して
僕はすっと涙が引いた.


「あ、これで本当にこの人とはお別れなんだな、人が人でなくなったんだ」と理解ができた.


今まで葬儀なんて意味ないのでは?なんて思ってたけど、
通過儀礼として重要なものなんだと実感できた.
人が人で無くなる過程を、自分の目で見て確認することで、死を理解(?)するものなんだと.

 

 


そしてここから先は周りの人の話.


要所要所あんまりにも僕が泣くもんで、
介護系の仕事をしてる親族達に
「まあ、そんなに泣いても死ぬのなんて順番だからw」
ってケロっとしながら言われたのが印象的だった. 

 


人の生死に関わる仕事をしている親族がとても多いのだけど、
その人達は「冷めてる」というよりも
「落ち着いてる」という感じだった.


「誰でもいつか死ぬし、それがいつかなんて誰もわからないんだよ」みたいな.


常日頃から変死や胎児(?)、老衰の亡くなった人を見ていればそういった考えにも至るよな、とかそういう考え方でいないと、
自分の心がもたないよな、なんて思えた.


そしてちょっとのユーモア(?)みたいなものもないと、人は人の死というものと向き合えないのかもしれない.


葬儀でも医療関係者の人たちは
笑顔というか、なんというか.
僕みたいにわんわん泣いてはなかったんだよね.


「おじさんあんこ好きだったでしょ?あんこ玉買ってきたから…」
「口の真横においてあげてwww三途の川の前で食べるでしょww」とか


「じいさん、帽子が好きだったから…」
「え?ちょっと、手持ちの帽子全部入れんの!?w」とか…


おちゃらけ とまではいかないけど、
ほんの少しのユーモア?みたいなのを感じた.
笑顔で送り出せば、その人も笑顔になるっしょ!
みたいな感じなのかな…(?)
僕はそんな強いメンタルないよ……

 


それとお坊さんの話が印象に残ってる.
「葬儀や四十九日が終わっても、時折、思い出してあげることが、故人にとって1番の幸せだと思います」って.

 


死んでから四十九日までの間は7日にいっぺん菩薩?仏?になるために修行だか試練を受けなくちゃいけないから、そのくらいのタイミングで思い出してあげてください.


みたいなことも言ってた気がするんだけど、
号泣してたからはっきり覚えてないや.

 


でも、全く忘れ去られちゃうより
「あ、あの時楽しかったよねえ」とか
「この話はあの人から聞いたやつだ」
みたいに思い出してもらえるとしたら
本望だな、なんて思った.


ちなみに僕はそういうのをすぐ思い出してシクシクするタイプです.
なのでこれを読んでる皆さんは是非とも死なないでください.


あと関係ないんだけど、
僕は死んだら関西式のやり方で骨壷に入りきらなかった骨は処分してもらおうと思った!
なので異様にちっっっっさくて素敵な骨壷を
生きてるうちに探しておきたい.

もしくは、骨を焼き切って欲しい.

 

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この後、じぶんの祖父が亡くなって、

かなりメンブレするのですが、

その出来事はいずれ書きます.

2nd seasonはなんだったのか

既卒派遣労働者が綴る、闇日記

僕みたいになっちゃいけない〜2nd season〜

 

とタイトルをつけていた時、

全く更新していませんでした.

心がついていけなかったのと、働くことで精一杯だったというのがある(言い訳になるが).

 

あったようでなかった2nd season…

落ち着いた今、何をしていたかを雑だけれど、

書いていこうかなあ なんて思っています.

 

 

・仕事について

派遣→無①→派遣→無②→バイト→契約社員(3rd season)

上のような流れで生きていた.

 

2社で短期で派遣社員をして、

なんだかんだそこで知識と技術を得た.

(Excelとか校正とかイラストレーターのソフトとか)

 

それらで得たものをかわれて今の会社にいる.

なんてラッキーなんだ. 運で生きている.

 

 

・無の期間何をしていたか

【無①の時】

割と金銭面や今後について不安が強くて

薬を多く飲んでいた… あと とにかく眠れなかった.

Twitterもときたま見ていたけど、

みんなが眩しくて辛くなってほぼ見ていない状態だった.

 

貯金をジリジリ減らしてた.

 

 

【無②の時】

薬で遊んでいた.もちろん合法のです.

これはよく遊んでいた当時の友達に

釣られてやらかしていたので、

「類は友を呼ぶ」という言葉は本当なんだなあ、

と思いました まる

ラリってないと死にたい時期だった.

 

放送大学に入って、奨学金を止めた.

授業は受けていないけど、

教科書が面白いので入学して良かった.

奨学金を止めて、貯金の減りが若干減った.

 

 

ざっと列挙するとこんな感じだった気がする(?)

生きてはいたけど、心は荒んでいた.

まあ、今もだけど.

荒みの原因が変化した感じがある.

 

また記事書きます.

誰が読むか知らんけど、自己満足です.

空白期間

みなさんお元気ですか?
中野です、お久しぶりです。
そしてあけましておめでとうございます。
 
 
僕は結局就活を全くしないで1年間過ごしていた。
高熱を出し体調を崩したり…
気分が上がって衝動買い
(と言ってもレターセットや本、漫画など)をしたり…
リアルの友人を誘って遊んでみたり(非常に珍しい)
カビにやられアナフィラキシーになったり…
重要な案件を任されたり…
無職の期間があったり………
前回の更新からだいぶ経っていた。
 
 
最近はTwitter張り付いて監視するという行為も
なんだか疲れてしまって
全くと言っていいほど見ていない。
イッタラーのみなさんお元気ですか?
 
140文でのやり取りだけれど、
機械相手でなく生身の人間と
文字でコミュニケーションを取っている。
 
自分と全く関わりのない人と出会える反面、
揉め事が起きたり、嫌な思いをする人が出たり…
やはり実社会と同じでややこしい。
そこに自分が当事者として入ることに疲れてしまったんだ。
 
僕の中で、
現実を逃避するためのSNS
そうでないものになってしまったから
見なくなったのかなあ、という感じです。
 
 
 
話は変わるけれど、
現在の僕は
社会に出て"なにをしたいか"という事を
その場しのぎでしか考えていなくて、
明確に"こうやって生きたいなあ"という
考えもなく過ごしています。
 
そのため1日が過ぎて行くごとに
安心感と焦燥感でいっぱいになる。
全く真逆の感情だね。
 
「今日は誰かの一言で思い悩まずに済んだ。」
「誰にも自分の時間を邪魔されずに済んだ。」
「プライドが傷つかずに済んだ。」
「数多とある未来への不安はそのままだよなあ…」
「このままでは社会不適合者になってしまうのでは?」
 
と言った感じに、
寝る前になると頭がグルグルと動き始める。
体調がすこぶるいい!完治!!
とまでは、なっていないようだ。
 
 
 
冬から春にかけていろいろなことが進展し、
新生活に向けての準備が始まる頃と思う。
 
スタートダッシュが肝心だと言うけど
気張り過ぎるとかえって疲れてしまうから、
自分のペースをつかむ期間にして
鬱にならないようにしてください。
僕からのお願いです。
 
 
僕にとっては憂鬱な季節ですが、
のらりくらりと体調と相談をしつつ
生きていこうと思います。
 
 
 
おわり

フリーターと就活の狭間


心理カウンセラーさんに
「ちょっと気持ちが上がってるねー、
いつもより""だいぶ""楽しそうだよ。」
と言われて少々凹んでいる中野です…

春になるから僕の気持ちが
上がってくれるのは
願ったり叶ったりなのですが、
度が過ぎた行動をしてしまうので
数週間注意が必要そう……



話がいきなり変わりますが、
僕はちょっと前にTwitter
「就活始めよっかなw」なんてつぶやいてた。


しかしカウンセラーさんと話していくうちに
今は就活をするべきではないのかもしれないと考えるようになった。

その理由としては
新卒の人とよーいどんで就活をした場合、
劣等感や自信のなさから
また鬱が再発しかねないというのが1番にあるからだ。

すでに1年遅れを取っている自分が
活躍などできるのだろうか?
そもそもまた面接で、どもってしまうのではないか?
などなど尋常でないほど恐怖をしている。


そして1年フリーターながらも社会人をしてみて、
やはり役職のある人への恐怖は変わらなかった。

「はっはwあんな仕事もろくにしていない
役職""しか""ない人間なんてへっちゃら!」

なんて思うこともあったが…(舐め腐ってる)、
いざ一対一で会話をすると萎縮してしまい、
言葉はじめでどもってしまうことが多かった。
ex.「な、な、な、な、なっな、中野です」みたいな感じで…


多分この恐怖は他人には
感覚的に理解してもらえないもので、
自分の中で煮詰めてから言葉にしないと
うまく伝えられないのだと最近気がついた。

・自分の脳の欠陥
・自分の飲んでいる薬(なぜ飲んでいるかの理由)
・自分の性格
・自分の行動の端々に見えるクセ

これらを自分自身が理解していないと
「就活をしない理由」や
「なぜフリーターでいるのか」
というところを
相手にも納得してもらえる形で
伝えられないんだなと感じている。


まだ僕は躁鬱だって
認められない部分が多くて、
会社の人とかにも言えない。

躁鬱だって知ってるのは
僕が就活してた時(?)に出会ったツイッタラーと
大学唯一の友達と
母親(父には怖くて言えない)だけだし、
社会に出て出会った人に
うっかりでも言えるわけがない。

というかまだ自分の中で
納得できていないから
言えないというのがあるのだけれど…


就活をまた始めるってなったとき
「僕は躁鬱なんですけど、仕事はできます」
なんて言えないから治さないと。

社会の人たちの目は
精神疾患の人間に対して厳しいのは
この1年、働いた中でたくさん見てきたからわかる。

「仕事ができたとしても
体調を壊されて休まれても困る」
っていうのが一番にあると思うしね。


僕は欠陥品かもしれないけれど、
少しずつ周りの支えがあって
修理してもらってるから、
それをうまく操縦できるようにならなければ。


なんか長くなってしまったし
まとまりのない文章だ。




おわり

本当の最善は何か

僕は今なにをしているかというと、

前回の派遣の仕事が終わり
2ヶ月ほどお休みを取り
新たな派遣先で仕事をしています。
(2月末で終わるんだけれどね)


派遣先が家の近くなため、
残業もガンガンした。
契約の時間よりも
大幅に残業したため怒られてしまった。


やはり働いていると
ネガティヴな事を考えず
仕事にだけ向き合えるので
気分的にも楽だなあと感じる。

しかし僕の特性上、
その仕事だけに向き合うというのが、
仕事に"""しか"""向き合えず
結果的に自分を潰すことになってしまう…


今回の派遣先の仕事でもそうだ。

「納期が間に合わないからいくらでも残業してくれ」
という社員さんからの言葉を
僕はそのままそっくり受け止めてしまって
社員さんと同じレベルで残業をした。

その時の僕はそれが
「良いこと」「最善なこと」だと思って
馬車馬のように働いたんだ。


でもそれは、
の抜き方がわからないからであって
「良いこと」をしているわけではない
と今頃になって気がついたんだ。


一つの物事に全力で取り組んでしまう癖は
1年社会で働いただけでは
克服できるものでは無いんだなと
改めて感じている。



次回はもう少し考えを整理して書きます。